宝塚歌劇舞台の銀橋の名前の由来や意味は?花道との違いは何?

宝塚大劇場 銀橋
宝塚大劇場
宝塚歌劇の基本

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宝塚歌劇ならではの舞台の仕組み「銀橋(ぎんきょう)」!

トップスターやタカラジェンヌが銀橋を渡るだけで、お客さんとの距離がグッと縮まります^^

宝塚の舞台にしかない「銀橋」は「花道」と同じ意味なの?

宝塚歌劇の舞台の仕組み「銀橋」についてまとめてみました!

 

目次

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「銀橋」の名前の由来は?いつからあるの?

銀橋

銀橋(ぎんきょう)は、宝塚の舞台前方にあるオーケストラボックスと客席の間にある弧を描いたようにゆるやかにカーブしている道のこと。

劇中に銀橋を渡る演出があることで観ている私達は、ただただ嬉しくなるものです^^

銀橋でお芝居することで物語のメリハリをつけることができたり、銀橋と舞台を同時に使って奥行きのある演出にしたりと、いろんな効果を作ることができます。

それだけでなく、銀橋を歌いながら渡れるのは選ばれたタカラジェンヌのみ!ということで生徒さんにとっても特別な演出法となっています。

 

銀橋の名前の由来は、フランス語の「Pont de argent(ポン ダルジャン)」を直訳したもの。

「Pont de」=橋

「argent」=銀

 

銀橋のことを「エプロンステージ」と呼ぶこともあります。「銀橋」が登場した頃のタカラジェンヌはこちらの呼び方で呼ぶ人が多い印象です。

 

「銀橋」が最初に登場したのは1931年のレビュー「ローズ・パリ」からだと言われています。

レビューの王様・宝塚レビューの第一人者白井鐵造さんが演出したショーから銀橋が宝塚のステージに浸透していきます。

白井鐵造さんの宝塚歌劇での功績は、日本初のレビュー「モン・パリ」に始まり、ラインダンス、「すみれの花咲く頃」などなど、すべてが白井鐵造さんが始めたもの!

本場のレビューを観て「銀橋」を取り入れる姿勢はステキです!今も宝塚に残る「銀橋」は、ここから始まったんですね!

 

ちなみに「銀橋」が好評だったからなのか、「金橋」なるものも登場しました!

「銀橋」の登場から4年後、1935年に銀橋の真上に3階席にまで届く高さに「金橋」が作られました。

宝塚の劇場の改装に伴い「金橋」はなくなってしまいましたが、2階席以上のお客さんも楽しめる舞台を作っていたことに驚きですね!

>>宝塚歌劇フィナーレの『大階段』の段数や幅は?どんな仕組みでいつからあるの?

 

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宝塚の「花道」は「銀橋」のことじゃないの?

宝塚で舞台を観ていて、ずっと「銀橋」と「花道」は同じだと思っていました。

ですが、銀橋」と「花道」は全くの別物!

宝塚の舞台にある「花道」は、舞台両側にある小さなセリが出てくる部分から客席に沿うように斜めに伸びるあの場所!

あの場所を宝塚の舞台では「花道」と呼びます。

 

昔は宝塚にも歌舞伎の舞台のように客席に飛び出す形の「花道」が存在しました。

ですが「銀橋」の登場によって取り外されてしまいました。

結果、宝塚の舞台での「花道」は「銀橋」よりも目立たなくなりました^^;

「銀橋」も「花道」も宝塚には欠かせない舞台の一部!どちらも客席に近くなるので、劇中にどんどん使って欲しいところですね(笑)

 

ちなみに、阪急宝塚駅から宝塚大劇場までの道を「花のみち」といいます。知っている方も多いでしょうか^^こちらの名前の由来は「花道」からつけられました。

こちらの「花道」のほうが今は舞台よりも存在感がありますね!

>>宝塚歌劇の『衣装』は使い回しなの?デザインや制作過程がスゴイ!

 

まとめ

宝塚歌劇の「銀橋」は、フランス語を直訳した名前になっています。1931年、レビューの演出家 白井鐵造さんの「ローズ・パリ」という作品から登場しました。

「銀橋」は、舞台の前方にある上手から下手へ伸びる緩やかなカーブの道のこと。舞台と銀橋の間はオーケストラボックスの場所になっています。

宝塚の舞台の「花道」は、舞台両脇の小さなセリがある客席に伸びる斜めの道がある場所を指します。「銀橋」と「花道」は、全く違う場所に位置しています。

大劇場で観劇するときには、宝塚にしかない「銀橋」、そして「花道」の場所も注目してみてください!

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