女優の大地真央さんは、元宝塚歌劇 月組の男役トップスター!
宝塚時代の人気ぶり、当時のファンならご存知ですよね^^
結婚している旦那さんのことや退団後の活動についても調べてみました!
目次
トップスターになるまでと芸名の由来!
まずは、大地真央さんのプロフィールから紹介です。
大地真央
本名:森田 真裕美(旧姓:多田)
愛称:マミ、真央
出身:兵庫県洲本市
【宝塚データ】
1971年(15歳):宝塚音楽学校に入学
1973年(17歳):初舞台 星組「花かげろう/ラ・ラ・ファンタシーク」
59期生
同期:平みち、姿晴香、四季乃花恵、山城はるか、未沙のえる、現役では専科の一樹千尋
1982年(26歳):月組男役トップスターに就任
1985年(29歳):宝塚歌劇団 退団
宝塚に入るきっかけは、中学校で舞台に立つ経験をしたことで芸能活動に興味をもったことから。
父親に猛反対されるのですが、「宝塚なら軍隊のような厳しい規則があるからいいのではないか」と父親の友人の助言でOKをもらいました。
父親は陸軍の軍人経験のある人でしたが、友人の助言はナイスでしたね!これがなければ今の大地真央は存在しません。
1971年、15歳の時に宝塚音楽学校に入学。成績は49人中42人でしたが、宝塚の受験のためのレッスンは数ヶ月だったにもかかわらず一発合格!
「大地真央」の芸名の由来は、自分で決めていた「真央」と、姉が考えてくれた「大地」を合わせて付けました。
トップスターになる前は、宝塚に在団をしていながらアイドル歌手としてデビューもしています。
アイドル時代のデビュー曲は「悲しみのアイドル」、このキャンペーンのためにテレビやCM出演などもこなします。
このアイドルデビューは、宝塚のオーディションで決まったもので、1年半の期間限定の活動でした。
レコードはあんまり売れなかったそうで、人気があったらアイドル活動を続けていたかもですね。
1982年、初舞台から9年目で月組男役トップスターに就任します。
相手役には、大地真央さん自ら黒木瞳さんを抜擢!当時の黒木瞳さんは初舞台から3年目でした。
大役を任された黒木瞳さんがいじめに遭わないように、大地真央さんが一番厳しく黒木瞳さんを指導していました。
このことでトップスターよりも大きなことを言う人はいませんでした。大地真央さん、男前でカッコいいですね!
二人はとても仲が良かったので、こんなこと大したことではなかったみたいですね(笑)
1985年、29歳の時に黒木瞳さんも一緒に退団!このトップコンビの同時退団は宝塚史上初の出来事でした。
今では珍しくもないトップコンビの同時退団のパイオニアは大地真央さん、黒木瞳さんコンビだったんです!
退団の挨拶に紋付袴姿で挨拶をしなかったのも大地真央さんが初めての人!純白のタキシードで登場したそうです!似合うに決まってますね(笑)
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大地真央さんの退団後の活動や夫について
退団後は、ミュージカル女優として活躍しました。
「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ
「マイ・フェア・レディ」のイライザ
など、男勝りの女性を好演して評判を呼びました。
マイ・フェア・レディのイライザは、今でも宝塚の男役トップスターが退団すると誰かがやっているイメージですね。
最近でいうと、真飛聖さん、霧矢大夢さん、朝夏まなとさんがイライザを演じていますよ!
大地真央さんの最初の旦那さんは、松平健さんでした。
「風と共に去りぬ」での共演がきっかけでしたが、離婚されています。子供はいませんでした。
現在の旦那さんは、インテリアデザイナーの森田恭通さん。
私生活では猫好きだと聞いたことがあります。なのですが、猫アレルギーということで猫専用のお部屋があるんだとか!
宝塚歌劇団が女性だけなのは何故?最初の演目や創設のきっかけは?
まとめ
大地真央さんは、宝塚史上初を連発していた伝説のトップスターでした!
トップスターとしての期間は3年ほどでしたが、黒木瞳さんとは今も仲が良いということで当時の息もぴったりだったんだろうなと。
宝塚時代の話を知る度に、リアルタイムで大地真央・黒木瞳コンビを観たかったなと思ってしまいました!